石原莞爾顕彰会事務局より

墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。

【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―

2011年7月30日土曜日

東京都あきる野市  男性

去年に続き、今年もまた来れてよかったです。また来年も来ようと思っています。雨を心配しましたが晴れてくれたので助かりました。

2011年7月26日火曜日

石原莞爾ドキュメンタリー 撮影お手伝い 第3日目 午後 光丘文庫編

三日目午後は、酒田に移動前に、鶴岡市立図書館のすぐ側の桂やで昼食。麦切りが好評。食事の後は、前田さんのご好意で山形経由福島に帰る佐藤先生を高速バス乗り場まで送ってもらい、私は残る撮影隊を乗せて、酒田の光丘文庫へ。

途中でブリュノからコンビニローソンがあったら止まってとのリクエスト。なんでも、ローソンでないと、好きなコーヒーのブランドを置いていないとのこと(笑)。

光丘文庫では、伊藤先生と待ち合わせ。伊藤先生は、大阪府立大学名誉教授、専門はドイツ文学で、石原莞爾がドイツに駐在していた時の手紙を研究(『石原莞爾のヨーロッパ体験』)。

石原莞爾ドイツ駐在時代の私信を読む伊藤先生の撮影。

石原莞爾ドキュメンタリー 撮影お手伝い 第3日目 午前 鶴岡郷土資料館編

三日目午前中は、郷土資料館で佐藤先生の追加インタビュー、その後、資料撮影。

石原莞爾インタビュー動画をコンピュータで再生し、それを
見ている佐藤先生を撮影するためにセッティング中。

2011年7月25日月曜日

石原莞爾ドキュメンタリー 撮影お手伝い 第2日目

二日目は、朝ホテルで撮影隊をピックアップの後、湯野浜へ向かい、福島からいらっしゃった佐藤先生をお迎え。佐藤先生は、石原莞爾平和思想研究会の副会長、ご家族の方と前泊して湯野浜温泉を楽しまれたとのこと。旅館は亀や。受付の亀や社長の奥様にご挨拶。

佐藤先生をピックアップ後、遊佐の道の駅鳥海ふらっとへ。菜生さんから博男さんに到着前に電話をいれてもらい、ふらっとの駐車場で待ち合わせ。

旧墓所に向かう前に撮影。向かって左から、佐藤先生、
ブリュノ、ポール、クルノ、私(ちょっと眩し)。


2011年7月24日日曜日

石原莞爾ドキュメンタリー 撮影お手伝い 第1日目

撮影隊は昨日庄内入り。私は本日から、通訳兼ガイド兼ドライバー兼撮影助手として参加。

午前中ホテルで打ち合わせの後、私は監督のポールとカメラマンのクルノを乗せて由良海岸に移動し、海岸の撮影。ブリュノと菜生さんは海岸に向かう途中、致道博物館で降ろして午前中は別行動。

撮影中に現れた鳶がいい絵になりそうということで狙っ
ています。監督のポール(左)とカメラマンのクルノ(右)

2011年7月16日土曜日

雀 8日目

突然ですが、雀は亡くなってしまいました。昨日の夕方までは、ビデオにあるように飛び跳ね、病気の兆候すら感じさせなかったので、なんというかとてもショックです。昨晩は静かだなと思ってはいましたが、昼間飛び跳ね過ぎで疲れたのだろうと思っていました。今朝、さて外に出す訓練を再開と思って、鳥かごを見たら隅ですでに冷たくなっていました。

死因の見当がつきません。7日目に変えたことは、鳥かごに入れて、外に出したことくらいです。糞を調べてみると、黒い糞が混じっていたので、おそらく家の近くの興味を示していた雀の群れの世話好きが虫の餌を与えてくれたのだと思います(いままではすり餌だけなので、緑の糞です)。その中のどれかがあたったのか?ただそれにしても、異常な便は観察されませんでした。暑い日だったので、低体温等は考えにくいし。あるいは、逆に熱射病か。


2011年7月15日金曜日

雀 7日目

羽根が広がってきたので、羽根の撮映。


当初は引きずっていた足もかなり動くようになってきた模様で、今日はなんと、朝からジャンプです。今日から鳥かごに入れて、ビデオのように、網戸を隙間空けて、雀の群れとのコミュニケーションを図っています。

2011年7月14日木曜日

雀 6日目

羽管が割れて羽根が出てきました。


雀といえども野鳥なので、本日は、庄内支庁の環境課に保護野鳥に関して、どのようにしたらよいのか問い合わせ。基本は、野鳥の落巣ひなを見つけた場合でも、何もせずに立ち去って欲しいと。理由は、親鳥が側にいた場合に人間が側にいると近寄れないため。親鳥が近くにおらない場合に何もせず立ち去った場合、落巣ひなが結果的に弱って死んでしまう、または、他の生物の餌になってしまうことになるが、それはそれでやむ無しという見解。理由は、それが、自然の生態系であるから。後者は、残酷ではあるが、言われてみれば、その通り。保護してしまった場合は、親鳥がいるにせよ、いないにせよ、早く自然に返してあげて欲しいとのこと。雀に関しては、特に保護する上での申請は不要とのこと。

2011年7月13日水曜日

雀 5日目

突然元気になりました。食欲も旺盛で、餌やり器をなかなか放してくれません。


2011年7月11日月曜日

雀 3日目

入れ物の掃除をしてあげました。まだ、ヨロヨロしていますが、健康なようです。


2011年7月10日日曜日

2011年7月9日土曜日

日輪講堂 清掃 第2回目

本日は清掃作業第2回目、拭き掃除編。平成の始めの頃以来の本格的掃除とあって、拭き掃除は1回モップをゆすぐだけで、水が真っ黒になるくらいの汚れでした。作業は1時間ちょっとで終わりました。バケツの水は何度変えたかわからないくらい変えました。

本日快晴夏日で、気温は34℃くらいでしたので、まさに雫のようにしたたる汗でした。

清掃後 2階


2011年7月3日日曜日

日輪講堂 清掃 第1回目

今月の石原莞爾ドキュメンタリー撮映で墓所を撮映する際に、日輪講堂も撮映で使うかもしれないという事情もあって、本日は博男さんのお手伝いで日輪講堂の清掃作業をいたしました。大量の蜂の死骸やら、ねずみの糞やら、何年分かわかりませんが、なかなか凄い状態。ゴザが劣化して、触ると粉になるような状態でした。怪しげな粉塵の舞う中、軍手をして、帽子をかぶって、マスクをして、フル装備での作業でしたが、今日はそこまで蒸し暑くはなかったのが幸いでした。本日は片付けと掃き掃除作業だけで時間かかなりかかってしまったので、拭き掃除は次回の予定。掃除の後の冷たいコーヒーが美味しかったです。

実は私、日輪講堂の中を拝見するのは、今回が始めてでした。以下は、本日撮映した内部の写真。

入り口から見た1階広間。正面はトイレ、右手がキッチン。

秋田県鹿角市  男性

先般、東日本大震災で多くの方々が亡くなられました。東京でもパニックとなり、首都の機能がマヒしたと聞いています。都市解体といわれているように、東京一極集中はすでに限界にきており、石原将軍の考えたように日本は地方に産業工業都市20~30万程のものを創り、農工一体の簡素生活をすべきとおっしゃっています。震災を機に今後の日本のあり方を見直すべきだと思います。